走り初め2021

正月の空は真っ青な雲一つない冬晴れ。清しく冷たい空気が心地良い。2021年が穏やかに明けた小金井公園を走った。

相変わらずの人の群れ。子供連れや老夫婦。老若男女がみな一様にマスクをつけていること以外、目にする光景はいつもの正月と変わらない。

しかし、コロナ禍の現実はそうは甘くない。日常が抑圧され、ささやかな老後の楽しみや生きがいの多くが奪われた。2020年は未だ経験したことのない忍耐の一年だった。

そして今、新しい年が明けてもその出口は見えない。「静かな正月を!」と呼びかける知事の言葉や目に見えないウィルスの恐怖は解っていても、人々はこうしてやって来て密をつくる。それがまた、新たな第3次感染の要因を作り事態を悪化させている。

例えば、戦争が勃発したり、地震や台風などの大災害に遭ったら我々の日常はどうなるだろう。ひとときの日常を取り戻すために公園に出掛けるといった余裕はあり得るはずもない。

政治家の言う「経済との両立」も大切に思う。

だが、その蛇の生殺しのような方策は、実はワクチンや治療薬の実用化を待つしか収束する当てがなく、長期化している原因は、まさにそこにあるのではないか。

当たり前のことを当たり前に行える日常を取り戻す。早期収束には、一定期間欧州のロックダウンのような厳しい措置が必要不可欠で、現状は既にその限界点に到達していると自分は思うのだが。

流れる汗とともに、そんな思いが次から次へと頭をよぎっていた。